三菱商事

1954年~ 第1話 高垣社長の第一声“万事正々堂々と” ~新生・三菱商事の発足

あゆみ 「挑戦」の原点

1954年~ 第1話 高垣社長の第一声“万事正々堂々と” ~新生・三菱商事の発足

高垣勝次郎・三菱商事初代社長

大合同への道のりと、現在の三菱商事の礎をつくり上げた社長高垣勝次郎の就任に当たってのエピソードを紹介します。

1947年、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の解散指令により約30年の歴史に幕を下ろした旧三菱商事。解散後、部長以上だった者が2名以上いてはならないなど厳しい規制の中で、多くの社員が新会社設立を図りました。やがてその数は百数十社にまで拡大。戦後の厳しい経済状況下、その多くが倒産や吸収合併により姿を消していきました。

一方、1950年に旧三菱商事の第二会社設立が認められ、光和実業が設立されました。この年、GHQは旧三菱商事役職員に対する雇用制限緩和を発表。これを受け、三菱商事再建への構想が練られ始めます。新会社は次第に集約され、1952年春には、不二商事、東京貿易、東西交易の3社に纏まります。光和実業から改称した三菱商事を含め、4社合併へ向けた交渉が急速に動き出しました。

話し合いを重ねる中、三菱商事以外の3社間の業績格差などさまざまな障壁がありましたが、三菱の長老たちの助言もあり、ついに4社の大合同が実現します。1954年7月1日、新生三菱商事が発足。初代社長に就任した高垣勝次郎は、三菱四代目社長の岩崎小彌太が発意した「三綱領」を改めて社是として採用し、社員の前でこう語りかけました。「会社は営利事業ではあるが、利潤追求のために手段を選ばぬという考え方は許されるべきではない。我々は日本における代表的商社に属するとの矜持をもって万事正々堂々と行動し、健全かつ清新な社風の確立に努力すべきである」。このあいさつに多くの社員が涙したといいます。

1954年後半、米国経済が立ち直りを見せ始め、世界経済は好転。日本でも、それまでに例を見ない好況・神武景気が到来し、三菱商事の業績は順調に拡大していきました。

※破産・解散した企業の商権などを継承する新会社

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