三菱商事株主通信 - 2017年11月 No.45
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名めいせき石岩崎家が自社の汽船を用いて全国の産地から集めた石が園内に無数に配置され、さながら「石庭」の観を呈しています。涼りょう亭てい国賓として来日した英国元帥をもてなすために作られた小亭。池に突き出るようにして建てられた数寄屋造りの建物で、庭園を日本情緒豊かなものにしています。19彌太郎の遺志を継いだ三菱二代社長彌之助、三代社長久彌によって造園工事はさらに進められ、1909年には、英国陸軍元帥の来日を歓迎するために小亭を建てます。もてなしを受けた元帥は、日本式庭園に感動してやまなかったといいます。三菱の創業者・岩崎彌太郎には、庭園造りの趣味がありました。「心配事や悩みがあれば、庭園を見に行く。そうすれば、心持ちは爽快になり、暗い気持ちは晴れる。他に特別な趣味もないが、これが唯一の趣味だ」。1878年、彌太郎は深川にあった大名屋敷跡を買い入れ、修復を始めます。隅田川から水を引1923年の関東大震災では、近隣住民の避難場所としての役割を果たし、多くの人命を救助。その後、庭園の防災機能を重視した久彌は、庭園を当時の東京市に寄付しました。現在は、東京都の名勝に指定され、多くの来園者の目を楽しませています。き、三菱の船で取り寄せた石を使って海浜の景色を作った回遊式林泉庭園。これが今の清澄庭園です。当時は料亭での接待が一般的でしたが、彌太郎は欧米の社交習慣に倣い、賓客を接待する場として庭園を利用しました。涼亭は、集会場としての貸し切り利用やお食事の注文が可能です。予約方法などの詳細は、HPをご確認ください。涼亭写真は清澄御膳涼亭で過ごす、優雅なひとときはいかがでしょうか?彌太郎の時代彌之助・久彌の時代三菱ゆかりの地を訪ねて清澄庭園の歴史と見どころ

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