Challenged Sports(障がい者スポーツ)
“失われたものを数えるな 残されたものを最大限に生かせ”
2015年10月18日 朝日新聞「GLOBE」掲載

“失われたものを数えるな 残されたものを最大限に生かせ”
1960年、イギリスのストーク・マンデビル病院。留学中の医師、中村裕は衝撃を受けた。障がい者とは「保護されるべき人」であり、ベッドで安静にしているもの、というのが日本での常識だった時代。中村が師事したルードウィッヒ・グットマン博士は、治療にスポーツを積極的に取り入れ、身体機能の強化と回復で高い成果を上げていた。
多くの患者は半年ほどで社会復帰を果たし、自分たちの生活へと戻っていく。その生き生きとした表情は、人目を避けて暮らしがちな日本の障がい者とはまるで違っていた。「失われたものを数えるな、残されたものを最大限に生かせ」。中村がグットマン博士に学んだのは、その理念だ。
帰国後、中村は精力的に動いた。障がい者にスポーツなんて、と反対する人たちを根気よく説き伏せ、少しずつ賛同者を増やしていく。64年、悲願だった障がい者スポーツの世界大会が東京で開催。選手宣誓に臨む車いすの男性の後ろには、選手団長を務める中村の晴れやかな顔があった。
この大会は、中村のその後にとっても予想外の影響を与えた。出場した欧米の障がい者アスリートの多くは、仕事や家庭を持ち人生を楽しんでいる。その姿を目の当たりにした日本人選手から、「自分たちも彼らのように自立したい」という切実な声が上がったのだ。これがきっかけとなり、中村は翌年、出身地の大分県別府市に社会福祉法人「太陽の家」を設立。「保護より機会を」をモットーとして、以後、障がい者の働く場づくりに力を注いでいく。
同じ年、中村とともに東京でのスポーツ大会開催に尽力した葛西嘉資らにより、日本障がい者スポーツ協会が発足(当時の名称は日本身体障害者スポーツ協会)。現在その企画情報部長を務める井田朋宏さんは、「私たちは『障がい者スポーツ』という特別なスポーツがあるとは考えていません。あらゆる人が楽しめるように、ルールや用具を工夫しているだけです」と語る。
そのことは、障がい者スポーツの間口を広げるだけでなく、競技としての魅力をより増すことにもつながっている。レーサーと呼ばれる専用のマシンで戦う「車いすマラソン」は、時速40キロを超える高速のレース展開が何ともスリリングだ。「車いすバスケ」や「ウィルチェアーラグビー」では、選手交代などの駆け引きが時に勝負の行方を左右する。障がいの程度によって選手にポイントが与えられ、かつチーム内の合計ポイントを一定以内に抑えなければならない独特なルールのためだ。
近年はこうした障がい者スポーツ特有の面白さに気付き、「新しいスポーツ」として積極的に応援するファンも増えてきた。またリハビリや健康増進の手段としてスポーツに取り組むだけでなく、国際大会などの高いレベルで記録や勝利をめざす選手も少なくない。グットマン博士が若き日の中村裕博士に託した思いは、この国の障がい者スポーツのあり方を今も確かに支えている。
DREAM AS ONE. ~ともに一つになり、夢に向かって~
11月8日(日)に開催される第35回大分国際車いすマラソン大会。中村博士の提唱で始まったこの大会に、三菱商事は1991年から協賛しています。世界中からアスリートが集まる本大会には、三菱商事と太陽の家の共同出資で設立された「三菱商事太陽」の社員も出場しています。三菱商事太陽は、障がい者の社会復帰と社会参加に一生を捧げた博士の思いを今も受け継いでいます。




