Challenged Sports(障がい者スポーツ)
人はどこまで強くなれるか
2015年12月20日 朝日新聞「GLOBE」掲載

人はどこまで強くなれるか
その日、勤務先の印刷会社に置かれた新聞を偶然手に取らなければ、彼の人生はまるで違ったものになっていただろう。当時、佐藤圭一さんは25歳。定時制高校の卒業を控え、生き方を模索し始めていた時、障がい者クロスカントリースキーの記事に目が留まった。
「将来の目標を書き出していた紙に、クロスカントリーという一語を書き足したんです。スキーすらやったこともないのに、無謀すぎますよね(笑)」
本人も笑い話にするほど、その決断はあまりに突然だった。しかし何かに突き動かされるように勤め先を辞めると、1年間のワーキングビザでカナダへ。退路を断った。スキー場で働きながら、わずかな時間も惜しんで、ゼロからスキーの基礎を学んでいった。
クロスカントリーのコースは、下り、平坦部、上りがおおよそ3分の1ずつ。時には崖と見まごう急坂も、選手はスキーを履いて上っていく。アルペンスキーほどのスピードは出ないため一見すると派手さはないが、筋肉が出せる最大のパワーと瞬発力を、長いレース中ずっと持続するような過酷な競技だ。その負荷は強烈といっていい。
佐藤さんは、生まれつき左の手首から先がない。ストック1本だけで体を前に進めることは、ちょうど片手腕立て伏せのような感覚だ。選手たちは使える腕の筋力を鍛え上げ、体幹の力でバランスを維持する。それほどまでに肉体を酷使しながら、一瞬も集中を切らさず自分の走りを続けた者だけが、最後に勝利を手にすることができる。
肉体的苦難との戦い。自分との戦い。孤独との戦い。それがクロスカントリースキーヤーに求められるものだとするなら、佐藤さんは生まれた時からそれを続けてきた。両親と離れ施設で育った彼には、家族との温かなふれあいの記憶はない。
「でも競技を始めてからはたくさんの出会いがありました。選手仲間や指導者に助けられ、もうこれ以上続けられないと思うたびに、支援してくださる人や企業と巡り会えて。あらためて考えると、すべてが奇跡みたいに思えます」
あの新聞を目にした日から約10年で、2度のパラリンピックやIPCワールドカップを含む多くの国際大会に出場。今年からはトライアスロンにも挑戦している。引退はまだ当分先のつもりだが、いずれはアスリートのキャリアサポートを仕事にしたいと将来に思いをはせるようになった。
「これまでやりたいことをやってきて、この先もまだ目標がある。自分は恵まれて生まれてきたんだなあと思います。もし選び直せるとしても、僕はまた同じ人生を生きたいです」
人はこれほど強くなれる。黙々と雪原を走る彼の姿は、私たちにそう教えてくれるようだ。




