三菱商事

海外プロジェクト探検隊

Vol.3 夏休み 中国 繊維・物流プロジェクト体験ツアー

2006年9月25日 読売新聞掲載

熱気を帯びた経済成長を続ける中国最大の経済都市・上海。今年8月、日本の高校生8人が4泊5日の日程で、日本と中国の経済をつなぐビジネスを進める三菱商事を取材するため、上海市を訪れた。最新設備が整った製鉄所や縫製工場などを訪ね、同世代の学生たちとも交流した高校生たちは、伝わってくる経済発展のエネルギーと中国の人たちの強い向上心に、大きな刺激を受けたようだ。

三菱商事の現地法人訪問 中国最大の製鉄所を見学

上海市の中央部を南北に縦断する黄浦江の西岸に位置する観光名所「外灘(ワイタン)」。20世紀初頭に半植民地化された時代の上海の中心地で、当時、西欧列強が競い合って建てた西洋建築物が今も立ち並び、往時をしのばせる。対岸には、対照的に急速に開発が進む金融・貿易開発区の高層ビル群が見える。入国早々、高校生たちが降り立ったこの場所こそが、過去を背負いながらも、経済成長にひた走る上海の今を象徴していた。

翌日、まず訪れたのが、三菱商事の上海の活動拠点である現地法人「三菱商事(上海)有限公司」の本社だ。小西正秀総経理(社長)から、上海の歴史や現状、三菱商事の中国での取り組みなどについて講義を受けた高校生らは、休む暇なく、中国最大の鉄鋼メーカー宝山鋼鉄の基幹工場・宝鋼分公司を見学に訪れた。急成長で世界最大の規模に成長した中国の鉄鋼業界。昨年の粗鋼生産量は、過去5年でほぼ倍増して約3億5000万トンに達し、世界2位の日本の約1億1000万トンを大きく引き離している。

1985年に完成した同製鉄所は、その後も設備拡張や新技術の導入を続け、中国の鉄鋼業界を牽引(けんいん)する象徴的な製鉄所だ。三菱商事は、宝山を中心に中国全土の鉄鋼メーカーに日本製の最新プラントを納入し、鉄鋼業界の発展に貢献してきた。

同製鉄所の第3熱間圧延鋼板ラインの建設現場では、三菱商事の社員が中心になって、建設の調整役を務めている。現場に張り付く同社の機械グループの社員が、毎日のように現場で起こるトラブルの解決に取り組んでいる。高校生たちは、三菱商事が1993年ごろに建設を手がけた第2熱延鋼板工場で熱延コイルが作られる様子も見学した。1200度の高熱で真っ赤に加熱された鉄の半製品(スラブ)が、ラインを通過するうちに徐々に薄い鉄板に加工される様子に、北海道札幌北高校1年の松澤亮(まつざわりょう)君(16)は「あんなに遠くにある鉄のかたまりで、周囲の空気が熱くなるのに驚いた」と興奮した様子だった。また清泉女学院高校2年の吉田実花(よしだみか)さん(16)も「身近なものに使われている鉄が、あんなふうに作られることを体で感じられた」と話していた。

アパレル業界の舞台裏 生産・物流の最前線に迫る

三菱商事の上海の主力事業の一つが日本向けのアパレル事業だ。日本市場に流通している衣料品のうち、約9割がすでに海外からの輸入品。その輸入品の85~90%が中国製だ。三菱商事は、日本のアパレルメーカー各社からの注文に従って、中国でその製品に適した縫製工場を探しだして生産を発注、通関から日本までの輸送も請け負う総合サービスを提供している。

高校生たちは、三菱商事の発注先の1社であり、糸の原料となる養蚕から紡績、縫製までの一貫生産を手がける中国を代表する縫製メーカー「チェンフォングループ」の工場を訪問した。この工場では、1200人の従業員が勤務し、カジュアルシャツやジャケット、ウインドブレーカーなどのスポーツウエアを月間30万着縫製する生産能力を持っている。チェンフォングループの社長から説明を受けた後、作業が細分化され、完全な分業体制で効率生産されている工場を見学した。整然と並んだミシン台に向かうのは、10代の若い従業員たちも多く、高校生たちと同世代だ。大阪市の四天王寺高校1年の斎藤摩耶(さいとうまや)さん(15)は「服飾デザインに興味があったが、工場は整然として、想像以上に設備も近代的だった。従業員が働きやすい環境作りを心がけている社長さんの姿勢にも感動した」と目を輝かせていた。

三菱商事が日本のアパレル物流会社「アクロストランスポート」と合弁で設立した衣料品の検品・加工を行う「上海アクロス」の検品工場も訪問した。繊維製品は、日本への輸出前に縫製のほつれや、生地のほつれや縫い針の混入などの最終チェックを行ってから出荷される。従来は日本の物流倉庫などに持ち込んでから検品、各店向けの仕分けを行っていたが、人件費の安い中国国内で検品、仕分けも行うことで、低コスト化をはかれるという。

北海道札幌北高校1年の守屋遥平(もりやようへい)君(15)は「服が好きなので、自分が着ている服が、どう作られ、店頭に並ぶのか理解できた」と満足した様子だった。

慶応義塾湘南藤沢高等部2年の百武美沙(ひゃくたけみさ)さん(17)は「商社は人脈を用いて、物と物、会社と会社をつないで問題を解決する『必殺問題解決人』だということがわかった」と、さまざまな分野で活躍する商社マンの仕事ぶりに面白さを感じたようだ。

一般家庭や高校を訪問 生きた生活文化に触れる

最終日は、上海市郊外の人口9万2000人の村「曹陽新村」の家庭を訪問した。同村は、1950年代に縫製工場労働者として働くため地方から上海に移住して来た住民向けに整備された団地が並ぶ地域。近年、建て替えが進んでいるが、今でも当時からの定住者が多く、上海周辺では平均的な所得層の住民が多い地域だ。訪問先の家庭では上海料理の定番、ワンタンとゴマ団子作りに挑戦した。高校生たちは、訪問先の“お母さん”の手の動きを見よう見まねで料理に挑戦、徐々に形の整ったワンタンと団子を作れるようになった。昼食は上海の家庭料理がテーブルに満載となり、四天王寺高校1年の斎藤沙耶香(さいとうさやか)さん(15)は「食べきれないほどの中国流の歓迎に驚いた。訪問先のお母さんが娘に似ているから『あなたは私の娘よ』と抱擁され、うれしかった」と感激した様子だった。

高校生たちは日本語専攻科のある中高一貫校の上海市立甘泉中学校を訪問、日系企業が多い上海では日本語学習の人気は高い。中国の民族舞踊や日本語の歌などで歓迎された高校生たちは、練習していた中国語の自己紹介に続いて、中国でも人気の「世界に一つだけの花」を中国語で合唱し、感謝の意を示した。卓球大会で白熱したラリーを展開するころには、すっかり現地の学生たちとも親しくなっていた。

早稲田大学高等学院3年の大西雄介(おおにしゆうすけ)君(18)は「学生たちが日本語が上手で驚いた。日本の高校生にはないような強い勉学への意欲が伝わってきて、自分も頑張らなくてはと感じた」と、中国の同世代から強い刺激を受けたようだ。

同3年の川崎雄次郎(かわさきゆうじろう)君(18)も「知らない人ばかりで不安だったが、中国の人とも話すうちにいろいろな人と出会うことが楽しくなってきた。中国語も勉強したくなった」と旅を通じて意識に変化が出てきたという。

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