あゆみ「挑戦」の原点 【第8話】
逆風の中でも忘れない三綱領の精神
~日本経済の大きな転換期に物価安定のために奔走

日本の高度経済成長から一転、ニクソン・ショック、オイルショックと続いた世界経済の混乱にさらされる中、MCが社会的責任を果たすべく毅然として打ち出した施策について振り返ります。

藤野忠次郎社長
MCが社会貢献活動の検討を始めたのもこの頃。今日まで40年近く続く「母と子の自然教室」を1974年に開始。写真は盆踊りを楽しむ子どもたち(1974年夏)

1950年代半ばから始まった高度経済成長。MCはその波を巧みに捉え、事業・組織を拡大させていきました。しかし70年代に入ると、藤野忠次郎社長をして「内外の経済環境はまことに異常な状態にある」(73年9月、各部・場所長へ宛てた社長信での言葉)と言わしめるほどの経済混乱に見舞われます。71年のニクソン・ショック※に加え、73年10月からの第四次中東戦争をきっかけとする第一次オイルショックにより、「狂乱物価」と呼ばれるほどの物価高騰が日本を襲ったのです。特に、オイルショックが招いた社会不安は大きく、小売店では石油関連商品のみならず、生活必需品までもが奪い合うように買われ、店頭からあっという間に姿を消してしまいました。すると、消費者の行き場のない不満の矛先は、日本の輸出入を支えていた商社へと向けられたのです。ちなみに、74年度のMCの売上高は9兆4000億円。これは価格高騰の影響が大きく、物価上昇分を調整した実質上の売上高は、前年度比で7%近い減少でした。

こうした厳しい状況の中MCが重視したのが、原点である三綱領の精神でした。73年6月、藤野社長は「わが社の行動基準」を全社に発信。社会への影響が大きい生活関連物資の取り扱いや、高度経済成長の負の側面となった公害に対する配慮、地域社会との調和などの10項目について、経営姿勢と全社員に向けた行動指針を明確にし、三綱領の精神の徹底を図りました。

さらに74年2月、首相官邸で行われた首相と各産業界代表との物価問題に関する意見交換会で、藤野社長は「物価抑制に全面的に協力する」と表明。即日、直接消費者に関わる取り扱い品目の現行価格を凍結するよう指示しました。その範囲は、資材や燃料、食料などの37 品目に及びました。MCは三綱領の精神の下、社会の安定のために物価安定に貢献する施策を打ち出し、社会の一員として企業責任を果たしていったのです。

  • ニクソン米国大統領による、米ドルの金兌換停止や10%輸入課徴金などを内容とする新経済政策。各先進国が変動相場制への移行を余儀なくされるなど、世界経済に大きな影響を与えた。日本は、それまでの1ドル360 円の固定相場が廃止され、為替差損の発生や為替変動リスクを織り込んだ取引条件の設定など、日本経済および商社ビジネスにとっても大きな転換点となった。