三菱商事

1954年~ 第3話 輸出拡大や大型事業案件への挑戦 ~今も受け継がれるチャレンジスピリット

あゆみ 「挑戦」の原点

第3話 輸出拡大や大型事業案件への挑戦 ~今も受け継がれるチャレンジスピリット

高垣社長時代に取り組んでいた数々の取引・事業を振り返ります。

昭和四日市石油 チリのアタカマ鉱山

1954年末から57年前半にかけての神武景気や、58年半ばから始まった岩戸景気を追い風に、日本経済は量的拡大への基盤を固めていきました。この時期、三菱商事が打ち出していた方針が「輸出の奨励」です。輸出拡大を求める国の要請に応えるため、三菱商事の各部門では輸出課を新設するなど組織を改編し、輸出重視の姿勢を打ち出しました。

機械部門では、世界貿易の拡大に伴う造船ブームと日本の技術力を背景に、船舶輸出が飛躍的に伸びたことが特筆されます。日本の船舶輸出が前年比3倍以上の伸びを示した56年(通関ベース)には、約2億6000万ドルという輸出額の約30%を三菱商事が取り扱う実績を上げました。また、食料部門では、サケ・マスの缶詰を主力に魚介や果物の缶詰を輸出。米国・英国への輸出が好調で、特にカニ缶詰は輸出の90%を米国・英国向けが占めていました。

これら輸出の強化に加え、大型プロジェクトが始動したのもこの頃。三菱グループ各社と石油メジャーのシェル、昭和石油グループが組んだ昭和四日市石油の設立(57年)もその一つでした。これは日本の商社として初めて元売りの一角に食い込み、精製用原油の輸入権を獲得した画期的な事業でした。

また鉄鋼部門では、鉱山開発に乗り出します。チリのアタカマ鉱山は、三菱鉱業(現・三菱マテリアル)との共同出資により、58年に開発が正式決定。三菱商事初の海外での本格的な鉱山開発となったこの案件は、資源確保と共に、現地の発展にも大きく寄与しました。

さらに高垣社長時代は、化学品部門が充実した時期でもあります。発展に先んじて55年に石油化学課、さらに57年には輸出課を新設。56年に誕生した三菱油化(現・三菱化学)へは、一部の社員を転籍させるなど積極的に支援、市場調査や原料の輸入でも協力を惜しまず、今日の化学品取引の礎を築きました。

 

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