1954年~ 第5話 時代を見据えた経営の近代化 ~EDPシステムや通信設備など経営基盤を整備
荘社長時代を当時の写真と共に振り返る第5話は、いち早く取り組んだ経営の近代化を取り上げます。
1963年、三菱商事は国内初の「取扱高1兆円企業」に。目覚ましく業容が拡大し、60年に約4,500人だった在籍人数は、66年には7,700人超へと急増しました。
業務・組織の拡大に伴い事務処理量も増大。三菱商事はさらなるビジネスの拡大を見据え、前例のない「経営の近代化」に着手する必要がありました。このため取り組んだ一つがコンピューターによる事務の効率化でした。
当時の事務処理ではまだまだそろばんが活躍。新入社員に配られ、研修でも必修とされ、商社員の必要不可欠な能力でした。そうした“そろばん時代”から一気に脱却しようと、「成約─受け渡し─代金決済」を一貫処理できるEDP(Electronic Data Processing)システムを採用。最新技術によるコンピューターを約2年かけて導入したのでした。65年に稼働した新システムは、取引が急拡大していた鉄鋼部門で事務負担の軽減に大きく貢献。このシステム導入で培った知見は、その後のコンピューターシステムによる経営基盤の整備に役立ちました。
処理能力の高度化と共に求められたのが、通信ネットワークの充実でした。国内拠点の専用電信ネットワークは60年頃にほぼ完成。一方、海外拠点との通信は相手国の設備事情による制約が大きい状況でしたが、62年、日米間で民間企業での専用電信回線の利用が認められたのを皮切りに、各国で電信設備が改善。三菱商事はこの動きに対応し、専用回線を含め、海外拠点などに積極的にテレックス※設備を整備し、グローバルな商取引を支援しました。世界各国の時間を表示する壁時計が並び、テレックスによって世界中の情報が集まる東京本店の電信室風景は、日本の高度経済成長の象徴的シーンでした。
EDPシステムの導入や通信ネットワークの充実など、三菱商事は先進的な施策を展開し、さらなる飛躍の土台を築き上げていったのです。
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- 通信文を端末で小穴のあいた紙テープに変換して送信すると先方に紙テープとして出力され、それを端末にかけて文字化するシステム。高度経済成長期を支えた総合商社の通信手段。