三菱商事

1954年~ 第10話 合言葉は“役員から新入社員まで” ~レインボー作戦と組織改編を実行

あゆみ 「挑戦」の原点

第10話 合言葉は“役員から新入社員まで” ~レインボー作戦と組織改編を実行

三村庸平社長

三村庸平社長が実行した業務の効率化運動「レインボー作戦」と組織改編にまつわるエピソードを振り返ります。

2度のオイルショックにより国内外の経済が低迷していた1980年6月、MCでは三村庸平社長が就任しました。当時の日本は、輸入原材料やエネルギーを大量消費する基礎素材産業が大きな打撃を受ける一方で、高度な技術を要する加工組立産業が躍進するなど、産業構造の変化が急速に進展していました。素材産業取引が圧倒的に多かった商社への影響は大きく、MCも収益力の低下に悩んでいました。

前年秋まで米国三菱商事の社長を務めていた三村社長は、この状況を強く認識し、利益重視の目標管理を徹底。さらに、業務の効率化を指示します。1982年4月、社長を委員長とする効率化推進委員会を設置、効率化・合理化と生産性の向上を目指して「レインボー作戦」が展開されました。

目玉は、間接部門人員の2割削減をはじめとしたトップダウンの施策と、全社員が身の回りを総点検し、業務効率化のために具体的な提案をするというボトムアップ型のサークル運動でした。この結果、多くの人材が営業部門に投入されて新しい戦力となり、一方、重複業務の排除や社内手続きの簡略化が図られ、全社的にコストマインドが徹底されていきました。

また、1982年7月には、社長を補佐する諮問機関であった社長室会を強化し、MCの最高経営意思決定機関と位置付けた他、常務会を廃止し、三つの機能別経営委員会に再編成しました。営業部門では14本部から6営業グループ・19本部への大幅な組織改編を実行。翌年4月には職能部門の再編も実行しました。

1980年代初頭は、日米貿易摩擦など国内外多難な時期ではありましたが、米国向け製鉄プラントや産油国向け発電プラントの他、サウディ石油化学プロジェクトの本格化、東南アジアでのLNG事業の拡大など、海外での取引において多くの成果が得られた時期でもありました。三村社長の下、「役員から新入社員まで」を合言葉に、全社員が一致協力して低成長の時代を乗り越えていったのでした。

袖ヶ浦に入港するマレーシアLNG運搬第一船テナガ・サツ号 サークル運動の発表会
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