大プロジェクトへの憧れ 「私、商社っぽくない?」

まず、三菱商事への入社を決めた理由を教えてください。

私が生まれ育った福岡では当時、夏休みに海外の子どもを招待するホームステイの体験プログラムが行われていました。小学校高学年の頃は、私の家にもタイやミクロネシアから同年代の子たちが泊まりに来て、一緒に遊んでいました。これが海外、特にアジアに関心をもった始まりだった気がします。

大学時代は、法学部で国際関係分野を専攻。当時は漠然と「途上国の発展に貢献できたら」と考えていました。そんな時、OB・OG訪問で会った三菱商事の社員の「海外との関わり方は色々あるけれど、持続可能性の点ではビジネスとして取り組むことに意味があると思う」という言葉が心に響きました。入社を決めた当時から「大きいプロジェクト」への憧れがあり、インフラ事業を希望していました。

入社してから、戸惑ったことなどはありましたか。

実は、友人や周囲の人からは「商社っぽい雰囲気じゃないよね」と言われていました。たしかに当時、商社といえば「バリバリの体育会系」というイメージを持っていたので(笑)、少し不安に思ったこともありました。入社してみると実際は多様な個性を持つ社員がいて、杞憂(きゆう)に終わりましたが。

苦労したのが「英語」です。私はいわゆる受験英語はできても会話は苦手だったので、会議に出てもついていけないし、国際電話かもしれないと思うと電話に出るのも怖い。なんとか少しずつ身につけていきましたが、いまだにネイティブの方と話すのは少し緊張します。

インド出張で大苦戦 「座ってるだけじゃお客さん」

バンガロールメトロ

入社後は、希望がかなってインフラ部門に配属されたんですね。

重電機本部 交通システムユニット(現・産業機械本部 交通・水インフラ部)に配属されました。入社3年目の2003年からは、インドを担当することに。インドではちょうど新たな交通システムとしてメトロの建設が進んでいた時期で、私は主に「デリーメトロ」「バンガロールメトロ」(*1)向けの車両供給契約に携わるようになりました。

*1「デリーメトロ」「バンガロールメトロ」事業

交通渋滞や大気汚染などの課題解決のため、インドで進められている鉄道事業。首都ニューデリーとその周辺を結ぶ大規模な都市鉄道「デリーメトロ」は2002年、南インド最大の都市・ベンガルール(旧バンガロール)の「バンガロールメトロ」は2011年に、それぞれ運行開始。三菱商事は、現地企業や三菱電機などと協力し、車両の設計・供給のほか、車両の現地での国産化にも貢献している。

2000年代のインドといえば、急速な経済成長をしている頃ですよね。

私が初めて現地に行ったのは2004年でしたが、まさに経済成長の真っただ中というか、街全体からすごいパワーを感じました。人も多くてにぎやか。面白い国だなと思いました。

とはいえ、最初はうまくいかないことばかりでした。会議では、インド英語を聞き取れず議事録すら作れない。相手の勢いに圧倒されてしまい、話を切り出すタイミングがつかめない……。上司からは「黙って座っているだけだと、ただのお客さんだよ」とよく注意されていました。

それからは、周りの人のやり方も学びつつ工夫をするように。最初にアジェンダを出して「今日はこの項目について話したい」と提示したり、最後に「今日の結論を確認させて」と念押ししたり。少しでも成果を出したいと必死でしたね。上司や先輩に、厳しくもあたたかく育ててもらった若手時代でした。

その後、約10年にわたってインドの鉄道事業を任されるわけですね。

入札から交渉、契約、契約履行、さらに事務所管理や現地企業の育成に至るまで、色々なフェーズを担当することで、この仕事の基本を徹底的に学ぶことができました。入札から自分が担当した「デリーメトロ」「バンガロールメトロ」を無事に受注できた際は、ようやく手応えを感じることができました。

何よりうれしかったのは、インドの地元の方たちがメトロを利用している様子を目の当たりにした時ですね。旅行ガイドにも「デリーの新しい交通手段」などと写真付きで紹介されました。自分の携わった仕事が人々の暮らしを便利にしていく。この国にこの先何十年も残っていく──。これこそがインフラの仕事の醍醐味(だいごみ)だなと思いました。

モンゴル首相と直談判 難局でつかんだ交渉の極意

雪に覆われた新ウランバートル国際空港(岸川さん提供)

2014年からは、鉄道とは違うフィールドで新たな挑戦が始まりましたね。

モンゴルの新しい玄関口「新ウランバートル国際空港」(*2)の運営事業に携わることになりました。この空港運営を担うのが、三菱商事、成田国際空港、日本空港ビルデング、JALUXの日本企業4社とモンゴル国営企業が出資参画するNUBIA社です。

私は、契約交渉の主担当という立場で、日本企業4社間の意見調整、モンゴル政府との調整、契約交渉の取りまとめを行うことになりました。

*2「新ウランバートル国際空港」

航空需要の高まりに対応するため、首都・ウランバートルに誕生した「新ウランバートル国際空港」(正式名称:チンギスハーン国際空港)。円借款により建設された空港で、日本とモンゴルの二国間協力の象徴的存在。コンセッション契約によって、モンゴルの空港では初めて運営が民間企業に委託され、2021年7月に開港した。

モンゴル政府側との契約交渉は、とくに難航したそうですね。

最初の頃は、時間感覚やものの考え方の違いに衝撃を受けました。アポイントを取っても時間通りに始まらなかったり、プロジェクトのスケジュールを立てようにも「明日のことはわからないよ」と言われたり。こちらへの警戒心のためか、本音を言ってくれていないと感じることもありました。

また、日本語・モンゴル語の通訳を介してコミュニケーションをとっていたので、通常の倍の時間がかかるうえ、正確に意図が伝わらない時はモヤモヤが募ってしまい……。意見が食い違ったまま、夜中まで交渉が続いたこともありました。

契約締結を祝う食事会で、日本・モンゴル双方の
交渉メンバーと(岸川さん提供)

難しい局面ですね。どうやって打開したんですか。

メンバー全員で集まる前に、先方のトップと個別に話す時間を作って本音を聞き出したり、「どの辺りまでなら譲歩できるか」を互いにすり合わせをしたりしました。ほかのメンバーがいる前では話しにくいことも、個別に向き合うことで理解してもらえることもありました。ちなみにこのやり方は、この新空港の建設に携わった三菱商事の先輩からアドバイスしてもらったものです。

それから、私のポリシーとして、どんな交渉相手に対しても「正直・誠実でありたい」という思いがありました。隠し事をしたり裏をかいたりすることはしたくないし、できない。常に正直に相手と向き合ってきたことも、信頼関係の構築につながったのかなと思います。

交渉の終盤では、当時のモンゴル首相のところへも直談判に行ったそうですね。

モンゴル政府とのコンセッション契約を結ぶにあたっては、閣議の承認が必要です。各省への根回しもしますが、やはり影響力の大きい首相に理解をいただく必要がありました。これだけは譲れないという条件がいくつかありました。でも、周囲からインプットされた情報だけでは、こちらの意図が首相に正しく伝わらないかもしれない。そこで、モンゴル側の交渉メンバーが首相への直談判を提案したのです。意を決して、在モンゴル日本大使館の大使、モンゴル側の交渉のトップ、そして私の3人で首相を訪問しました。オフナー・フレルスフ首相(現・大統領)は体が大きくて、とても存在感のある方でした。力強い握手で私たちを出迎え、きちんと我々の話に耳を傾けてくれました。いま振り返れば、交渉をまとめるうえで、あれが一番大きなポイントだったと思います。

その後、約2年に及んだ空港運営のコンセッション契約の交渉は無事にまとまり、契約締結。ついにここまでたどりついたか、と何ともいえない達成感と喜びがありました。

最大ピンチにも「雇用は守り抜く」 仲間に見送られ号泣

新空港に誘致したエアラインのファーストフライト記念に(岸川さん提供)

2019年12月からは、モンゴル駐在が始まりました。

新ウランバートル国際空港を運営するNUBIA社に、CFO(最高財務責任者)兼Administration部長として出向しました。自分が契約交渉を手がけた案件ですから、運営まで携われるというのはうれしかったですね。

ところが着任から約2カ月後に、コロナ禍に突入。開港は1年延期されることになりました。これは、1年間収入ゼロという状況下で、施設の維持管理費用や約300人(当時)の社員の給与1年分をまかなうということ。その金額は数億円規模に上りました。

それはまさに会社存続の危機、だったのでは……。

その通りです。工事の先送りや調達品の見直しなど、コスト削減のためにあらゆる手は打ちましたが解決には至らず、会社を存続させるにはコストの約半分を占める人件費の削減が不可欠でした。モンゴル政府側には、コロナ禍を乗り切るには人員削減もやむなしという考えもありました。でも、「いい空港を作りたい」という思いでNUBIA社に来てくれた社員を解雇することはどうしても避けたかった。私だけでなく、ほかのマネジメントメンバーも同じ思いでした。雇用を守るために何ができるか。モンゴル人の従業員の気持ちに寄り添うとどのような方法が適切か、モンゴル人部長たちの感覚に頼りながら、とても慎重に検討を進めました。

検討を重ねた結果、週休2日を週休3日に変更し、給与を一部カットする決断をしました。給与カットでもモンゴル人社員の生活には響きます。理解を得られるか心配でした。でも、「コロナ禍を一緒に乗り切りたい、社員の雇用を守りたい」という思いをまずは組合幹部らに真摯(しんし)に伝えました。その後、全社員に対して丁寧に説明することで、トラブルなく実施することができました。結局、解雇は1人もしませんでした。

2021年7月、当初より1年遅れで新空港が開港。その後はエアラインの誘致活動も積極的に進め、韓国やベトナムなどからの新規エアライン誘致を実現させました。

モンゴルの社員との関係はいかがでしたか。

モンゴルの企業文化かもしれませんが、NUBIA社は社員同士の関係が濃いんです。週末の旅行や遠足などのイベントが多くて、部のメンバー総勢約50人で郊外に繰り出して、乗馬をしたり、凍った川で犬ぞりに乗ったり。ちなみに、部に日本人は私だけで、ほかは皆モンゴル人です。

NUBIA社内のスポーツ大会でチームメンバーと
(岸川さん提供)

社内スポーツ大会もあって、バレーやバスケ、卓球、ダーツなど種目は色々。試合は超本気モードで、バレーは第1セットが終わった途端、「部長は交代してください」と戦力外通告(笑)。スポーツ大会に参加したことがきっかけで、平日の勤務後の練習にも誘われるようになって、交流する機会のなかったシフト勤務のスタッフと一緒に卓球をしたりもしました。楽しかったですね。

コロナ禍での英断も、社員さんからの信頼につながっているのでしょうね。ただ、そんなに現地になじんでいたなら、帰国するときは寂しかったのでは。

帰任前のラスト1カ月は連日、色々な人たちが送別会を開いてくれたのですが、そのたびに「帰りたくない〜」と号泣していました(笑)。帰国当日は、空港ターミナルのすぐ隣にある事務所の窓から、社員のみんなが飛行機に手を振って見送ってくれました。忘れられない光景です。

聞き手の玉川透GLOBE+編集長(左)とともに

いまも空港事業を担当されているそうですが、今後やってみたいことは。

帰国後は海外都市開発本部(現・都市開発本部)を経て、2025年4月にまた交通・水インフラ部に戻り、空港事業全般の総括マネージャーをしています。

私にはもともと、「プロジェクトの最初から最後まで携わりたい」という思いがありました。ありがたいことに希望はほぼかなっていて、モンゴルでも、入札、契約交渉、そしてその後の運営まで経験することができました。残っているのは、15年間の契約期間を終えて運営事業権をモンゴル政府にお返しする最後の段階。プロジェクトはクローズさせる交渉も重要なので、ぜひやってみたいですね。また大きな挑戦になると思います。

Self-rating Sheet

(自己評価シート)

岸川さん本人が自分の「力」を
5段階で自己採点しました。

持続力・忍耐力: 「タフな局面を乗り越えられるのは、社内外を含めた『チーム』で仕事をしている意識があるから。一人ではないという支えと、チームに対する責任感と。それに、私は何かあっても一晩寝るとほぼリセットできるんです。精神的にはタフな方かなと思います。気分転換は茶道。モンゴル駐在にも茶道具を持参しました」

先導力: 「私は本来、先頭に立って引っ張るタイプではないし、目立つのも自己主張するのも好きではない方です。決断するときも、不安や迷いがあれば周囲に相談します。ただ、組織には色々なタイプの人材がいるからいいのでは。『私について来て!』という人も、じっくり細部を詰めていく人も、どちらも必要だと思います」