映画『アルマゲドン』に高揚「資源ビジネスってかっこいい!」
子どもの頃から、世界の出来事に関心があったそうですね。
放送業界で働いていた父の影響で、家では朝からBSの海外ニュースが流れていましたし、食卓で国際情勢の話が出ることもよくありました。自然と、世界の出来事やそれを伝えるメディアに関心を持つようになり、学生時代はテレビやラジオの現場でアルバイトも経験しました。
私が学生時代を過ごした2000年代初頭は9・11(世界同時多発テロ)や、インターネット・バブル、エンロンショックなど、政治・経済的に世界を揺るがす出来事が多発しました。大学も商学部に進み、ビジネスへの興味が強くなったこともあり、次第に、報じる側よりも、そのフィールドにプレーヤーとして立ちたいという思いが強くなっていきました。
ビジネスに身を置こうと思ったわけですね。その中でもなぜエネルギー業界に興味を?
非資源国である日本がエネルギーの大半を輸入に頼らざるをえないことは、この国がずっと向き合っていく社会課題の一つと認識していました。そのことと、「日本を根底から支えるようなインパクトの大きな仕事がしたい」「海外と日本の橋渡しができたら」という漠とした思いが重なり、エネルギー業界を志望するようになったのです。
それから、私は映画鑑賞が好きなのですが、『アルマゲドン』に出てくる洋上の大型油田プラットフォームが強烈に印象に残っていたんです。ご覧になった方はわかると思うんですが、主役のブルース・ウィリスが洋上プラットフォームでゴルフをしているシーンとか、今も鮮明に覚えています。そのとき、少し子どもっぽいのですが「うわー資源ビジネスの現場って、壮大でかっこいいな!」と憧れを持ったんですね。そんなことも影響していると思います。
結果として、新卒では別の総合商社に入社されたそうですね。
はい。エネルギー部門に配属され、外為業務や、新規のLNG(液化天然ガス)事業などに約7年間、携わりました。エネルギー事業に関わるビジネスパーソンとしての土台は、ここで固めることができたと思います。ただ、担当領域が限られていたこともあり、「プロジェクトをマネージしたい」「いずれ新しいプロジェクトを作り上げたい」という将来の夢とのギャップを感じるように。そこで、まずは自分に足りていないスキルを習得しようと、MBA留学を決意しました。
MBA留学や証券会社で修業、36歳でキャリア入社
MBA留学の成果はいかがでしたか。
アメリカのバージニア大学経営大学院に、2015年から留学しました。授業は大変充実していましたが、日々膨大な宿題が課され評判通りとってもハード。なんとか踏ん張れたのは、「経営目線で評価・判断するスキル」「財務分野のスキル」を磨きたいという明確な目的があったからです。新たな学びや多様な人との出会いを通して、「未知を開拓する面白さ」に目覚めていくような感覚もありました。
やがて、講義の場だけではなく、金融業界の実務を通じて知見を習得したいという思いが芽生え、2年あるMBA留学の1年目が終わる前に当時の勤め先を辞めることにしました。学費の負担など、経済的にはかなり苦労することになりましたが、「いまやらないと後悔する」と決断しました。
当時、妻がちょうど妊娠していたんですが、そんなときに会社も辞め、「後ろ盾」が何もなくなった状態に。その時期はある意味、人生の中で大きなピンチだったかもしれません。それでも、気持ちよく背中を押してくれた家族には、本当に感謝しかありません。
その後、証券会社へ転職したのですね。
MBA取得後、アメリカ最大級の証券会社からオファーをいただき入社しました。投資銀行部門で、テクノロジー・メディア・食品産業などをバンカーとして担当しました。覚悟していた通り、とてつもなく大変でしたが、それ以上に得るものは大きく、充実した毎日でした。2年半ほど勤めて、望んでいたスキルや経験値を習得できたこと、さらに家庭との両立なども総合的に考えて、次のステップへ進むことにしました。
次の転職先に、三菱商事を選んだのはなぜですか。
これまでの知見・経験を生かして、大きな経済価値を生み出し、日本社会に貢献できる事業を作っていきたい──。そう考えたとき、商社というのは大きなチャンスに恵まれたフィールドなのだと、あらためて気づかされました。また、新卒で入社した商社にいた頃、三菱商事がエネルギー関連の新規プロジェクトでフロント的な立ち位置をよく担っていたことも思い出し、挑戦することにしました。
36歳で入社後、驚いたことや意外だったことはありましたか。
入社初日のことはよく覚えています。初日というと、まずは会社の説明を受けたり、パソコンのセットアップをしたりするのが普通ですよね。私の場合は、9時に出社してあいさつなどを済ませたら、10時にはある契約書を渡されて 「我が社の交渉のリード(代表)として、1カ月後に交渉してください」と……。それも為替次第では契約期間トータルで1兆円規模の取引になる案件です。キャリア採用とはいえ、新人の自分によくこんなものを任せるなと驚きました(笑)。でも今振り返ると、そういう機会を与えてもらったことで短期間で成長できたと思います。
それから、「助け合い」の文化をすごく感じましたね。上司の部下に対するフォローはもちろん、同僚同士でも、部下から上司に対しても。先ほどの入社初日の契約書の件も、周りの人のサポートに大いに助けられました。
外から見ていたときは「組織の三菱」で個性を感じにくい会社なのかと勝手なイメージを持っていましたが、入ってみてわかったのは、あらゆる意見を取り入れてコンセンサスに至った後は一枚岩、という組織風土でした。一人一人の意見は極めてニュートラルに受け入れてくれるので、入ってすぐのときから意見を聞いてもらえて、ありがたかったですね。
念願のカナダ駐在 待ち受けていた「深刻な事態」
三菱商事での業務内容を教えてください。
三菱商事では、LNGのバリューチェーンを川下から川上に上っていくようなキャリアパスを歩んできました。1年目は、カナダで生産したLNGを日本の企業に販売する長期・大型契約の交渉を担当しました。2年目にはそのLNG投資事業の管理を東京から担い、3年目からは、ついにカナダ・カルガリーに駐在。三菱商事の子会社Diamond LNG Canadaの副社長として、「LNG カナダ事業」(*)の統括に2年半にわたって従事しました。
*LNG カナダ事業
カナダ初の大型LNGプロジェクト。カナダのブリティッシュコロンビア州キティマットに、年間約1,400万トンの生産能力を持つ天然ガス液化設備を建設し、アジアを中心にLNGを供給する事業。現地時間2025年6月30日に第1船を出荷。相対的に環境負荷が低いエネルギー源であるLNG及び天然ガスは、脱炭素社会への移行期を担う現実解の一つとして、その重要性が再確認されている。
LNGカナダ事業というのは、非常に大規模なプロジェクトだそうですね。
「カナダの大地」から「日本・東アジアの家庭や工場」まで続く、天然ガスの壮大なバリューチェーンを構築するプロジェクトでした。
まず、カナダ内陸の平野にガスの生産設備をつくります。そこで生産したガスを運ぶ長距離輸送パイプラインを新たに建設。パイプラインは約670キロ、これは東京―青森間に匹敵する長さです。さらに、ガスを-162度に液化する工場(プラント)と、出荷するための設備も新設しました。太平洋を渡る全長約300メートルの輸送船も複数隻建造しました。
液化プラントは、民間投資としてはカナダ史上最高額の案件とのことで、事業規模は140億USドル(約2兆円)、さらにパイプライン は145億カナダドル(約1. 5兆円)にも上ります。また、この事業のパートナー5社は、三菱商事、Shell(イギリス)、PETRONAS(マレーシア)、PetroChina(中国)、KOGAS(韓国)と、まさに業界の“雄”が集うオールスターのようなチームでした。
ところが、いざ現地に行ってみると、問題が山積みだったとか……。
私がカナダに行ったのは2022年の初め。プロジェクトが動き出してすでに3年半が経っていましたが、液化工場とパイプラインの建設は滞り、生産開始が数年単位で遅れてしまう可能性がありました。
しかも2022年といえば、コロナ禍です。あらゆる現場で労働規制がかかり、部材の生産や建設もさらに停滞。世界中にサプライチェーンが張り巡らされ、作業工程も非常に複雑なLNG事業において、コロナの影響はすさまじいものでした。
巨額の案件ゆえ、工事遅延による経済的なダメージは甚大です。このままでは、想定していた投資収益の実現が難しいうえ、LNG供給に遅れが出ればステークホルダーからの信頼を損ねてしまう。ちょっと気を緩めると、不安やプレッシャーに押し潰されてしまうというか、山積する問題の“洪水”に飲み込まれてしまうというか……そんな感覚でした。
「自ら仕掛け、やり続ける」 貫いたモットー
本当に大変な状況でしたね。まず、何から手を付けたのでしょうか。
第一歩として、まず「全部を知る」ことから始めました。例えば、チームのメンバーが出ているプロジェクトの会議には私もすべて参加することに。20近くあるパートナーとの社外会議をハシゴして1週間が終わってしまうこともありました。それから、メンバーが交渉を進めている契約については、自分が担当者になっても務まるレベルまでしっかりと契約書を読み込む。メンバーの悩み・困りごとをヒアリングして、一緒に解決策を探す、等々。
器用なやり方とはいえないと思いますが、「自ら仕掛け、やり続ける」のが私のモットーです。その過程でいいアイデアが生まれることもあるし、周囲との関係性も変わっていきます。実際、着任して半年ほど経つと、プロジェクトにかかわるパートナー各社の人々が私のところに相談にきたり、意見を聞きにきてくれたりするようになりました。このプロジェクトに私は貢献できる、と確信を持てたのはこの頃からです。
パートナー5社間での意見調整も、さぞ大変だったのでは。
パートナーの5社は、国も、注力する事業領域も、会社の制約や状況もそれぞれ異なります。しかもそれぞれが大きな期待を背負っており、どうしても自分たちの会社を優先した主張・行動をしがちでした。このままでは「デッドロック」、つまり合意ができないまま物事が前に進まない膠着(こうちゃく)状態に陥る危険がありました。
そこで我々は、想定シナリオを示しながら、プロジェクトの「全体最適」の姿と、それが「個社の最適」にもつながることを説明することに尽力しました。例えば、「いまスキルの高い人材をX百人投入すれば、予算にX百万ドルの負荷はかかるが、スケジュールをXカ月前倒しできる。すると投資リターンはX%の改善が見込めるうえ、工期がXカ月短くなることでX百万ドルの予算削減につながる」といった具合に。
説明・議論を重ねて実行につなげていくプロセスは、地味で労力も大きいのですが、ビジネス的な側面からソリューションを提供していくというのは、我々三菱商事の大切な存在価値の一つです。困難な局面だからこそ、率先して取り組んでいました。
「合意形成が難しい」「各工程で問題が多発」という状況は、どんなビジネス現場でも起こりうる問題だと思いますが、とくに大事にすべきことは何でしょうか。
複数の企業と案件を進めていく際、アイデアの「素案」を作ることは有効だと思います。具体案が目の前にあることで、各社が「ここまでなら許容できる」というラインを示すようになり、落としどころを探ることができますから。ちなみにこの時、自社にとってのみ都合のいい素案を作っても、当然受け入れられませんし、自身の信用も失います。各社のポジションや状況を理解するためには、日々のコミュニケーションの積み重ねも大事だと思います。
それから、様々な問題が多発しているとき、チームの各担当者が対症療法的に対応しても、本質的な解決にはつながりませんし、リソースの浪費にもなります。「組織としてフォーカスするのはコレ」と全体の目線合わせをしたうえで、具体的なアクションを探っていくのが良いと思います。「英知を投じる領域を限定する」といったイメージでしょうか。
星出さんは逆境にとても強い方という印象です。プレッシャーやストレスとの向き合い方は。
元々は、心配性の性格でした。新人の頃はとくに、週明けに重いタスクがあると気になってしまって、日曜夕方の「サザエさん症候群」どころか、土曜夕方から憂鬱(ゆううつ)になっていたほどです。
変化のきっかけは、釣りという趣味に出会って「スイッチの切り替え」を覚えたことでしょうか。美しい海や山に囲まれていると思考がリセットされて、心身ともにリチャージできるように。ちなみに、釣りはアラスカまで遠征するほどのめり込み、カナダ駐在時には家族とのスキーが新たな趣味に加わりました。
それから、様々な経験を通して、「プレッシャーの大きさに比例して、乗り越えた後の達成感・喜びも大きいものになる」と知ったことも、自分を強くしてくれたと思います。
LNGカナダ事業は2025年6月、ついに初出荷を迎えたそうですね。
現地時間で6月30日、無事に第1船を出荷しました。本当は現地で見届けたかったのですが、後ろ髪をひかれる思いで私は一足早く日本に帰任していました。かつてのチームメンバーからは「できましたよ!」と報告をもらいました。無事に立ち上がってよかった、と安堵(あんど)の気持ちでいっぱいです。今後は年間約210万トンのLNGを日本やアジアの需要家に販売していくことになります。
私は2025年春から、オーストラリアのLNGプロジェクトの投資管理に従事しています。40年弱続く伝統的なプロジェクトの拡充に加え、新たな開発案件にも着手しており、また次なる大きな挑戦が始まっています。