Connecting to the future:ともに働く仲間や地域社会との「信頼関係」が、日々の原動力に

Connecting to the future 思いをつなぎ、未来をつくる Connecting to the future 思いをつなぎ、未来をつくる

多彩・多才な人材が未来をつくる vol.2 ともに働く仲間や地域社会との「信頼関係」が、日々の原動力に
—金属資源グループ座談会[前編]—

中期経営戦略2024の重要な柱の一つに「人的資本の価値最大化」を掲げ、「イキイキ・ワクワク、活気あふれる人材と組織」の実現を目指している三菱商事。現場の社員はいま、どのような思いで日々の業務に、社会課題に、ビジネスパートナーに向き合っているのか。金属資源グループの6人の社員による座談会の模様を前後編の2回にわたって紹介する。(聞き手=GLOBE+編集長・関根和弘)

第1回 「国内外の多様な現場で活躍×中堅社員3人」の座談会はこちら>>

第3回 「金属資源グループ座談会」の前編はこちら>>

[ 座談会参加者 ]
菅野 健太郎 氏(三菱商事 金属資源トレーディング本部 RtM事業室長)
猪俣 雄介 氏(三菱商事 金属資源本部 アルミ部 次長)
鄧 抒 氏(三菱商事 金属資源グループCEOオフィス ビジネスインキュベーションユニット 次長)
藤井 美穂 氏(三菱商事RtMジャパン 電池・モビリティ事業本部 次長/三菱商事から出向)
蒲池 晃子 氏(三菱商事 金属資源本部 ベースメタル部 課長)
蒔苗 知紀 氏(三菱商事 金属資源本部 MDP事業部 経営総括チーム兼原料炭チーム)
※本文は敬称略
[ 聞き手 ]
関根 和弘(GLOBE+編集長)

銅、鉄鉱石、アルミ……生活を支える「金属資源」を日本へ、世界へ

金属資源本部ベースメタル部の蒲池(かまち)晃子氏

—— 金属資源グループの仕事は、“川上”の「投資」「鉱山開発」と、“川下”の「トレーディング」に大別できると思います。まずは、“川上”のビジネスを担っている金属資源本部の皆さんから、いまの仕事やこれまでのキャリアについて教えてください。

蒲池 私はベースメタル部に所属しており、チリとペルーにある三つの銅鉱山のアセットマネジメントを東京で行っています。具体的には、操業や予決算等の短期的な管理をしたり、中長期的な鉱山の拡張見通しなどの経営戦略会議に参加したりしています。 いま入社9年目ですが、この部署に来たのは2023年6月。それまでは、ペルーのアンタミナという銅鉱山に2年間出向していました。現地ではファイナンス部隊として、事業運営費の予算・実績管理、新経理システムの導入などの業務をペルーの社員と一緒に担っていました。 ちなみにスペイン語は、会社の制度を利用し、1年間のスペインでの語学研修で習得しました。英語があまり得意でなかったこともあり、自分なりの武器を身につけたいと思ったからです。以来、南米をはじめスペイン語圏の文化が大好きになり、帰国後はトレーニーとしてチリにも赴任しました。スペイン語と出会えたことが、「南米担当」といういまの自分のポジションにつながっていると思います。

金属資源本部アルミ部の猪俣雄介氏

猪俣 東京本店のアルミ部に所属しています。軽くて丈夫かつリサイクルもしやすいアルミは、電気自動車や電線などをはじめ、電化社会に向けてさらに需要が高まる金属資源の一つです。主な業務は、事業戦略立案やアルミの原料であるボーキサイトへの事業投資で、いまはオーストラリアでの開発案件にも携わっています。 私は学生時代に、途上国の発展のあり方を考察する開発経済学という学問を専攻しており、それを実践する場として商社に入社しました。入社後は2年半、南アフリカのMCがマジョリティ出資する事業会社に出向してキャッシュフローの管理や三菱商事本体との連結の予算・決算などの業務を担当したり、オーストラリアにある、金属資源開発事業の中核を担うMDP(Mitsubishi Development Pty Ltd)に7年半出向して発電用・製鉄用の石炭、ボーキサイトなどのM&A(企業合併・買収)業務、経営企画の仕事をしたりと、様々な経験を積んできました。

金属資源本部MDP事業部の蒔苗(まかなえ)知紀氏

蒔苗 私は2020年に入社しました。入社後は金属資源管理部研修生(※)として経理の仕事を2年間経験し、2022年8月からMDP事業部に加わりました。 ※管理部研修生:若手社員が、財務会計や簿記など実務を担うプロフェッショナルとしての基礎スキルを総合的に習得できる制度。年間30人ほどが管理部に配属される。 MDPは鉄のもとになる石炭である原料炭事業の投資・運営を行っています。私は、毎週現地から送られてくるレポートをもとに鉱山の状況を把握・分析などをして、月次ベースでのモニタリングおよび東京側への報告業務のほか、本店コーポレート部局と密に連携しながら各種報告業務が円滑に進むようサポートをしています。 着任してまだ日が浅いですが、金属資源開発というのは、(例えばMDP事業の場合は)良質な石炭が採れれば良い、操業がしっかりとしていればすべてがうまくいくというわけでは必ずしもなく、それぞれの持ち場を担う人たちの歯車がカチッとかみ合うことで初めて成り立つ事業だなと実感しています。

金属資源トレーディング本部RtM事業室の菅野健太郎氏

—— 次に、“川下”にあたるトレーディングに携わっているお二人も、いまの仕事やこれまでのキャリアを教えてください。

菅野 いまは、東京のRtM事業室長という立場で仕事をしています。RtM International(Mitsubishi Corporation RtM International Pte. Ltd.)というのは、三菱商事が世界中で手掛ける金属資源トレーディング事業の司令塔として2013年に設立した子会社です。社名のRtMは「Resource to Market」の略称で、まさに金属資源のサプライヤーとユーザーを結び付け、付加価値の高い資源を世界中に安定的に供給するというのがミッションです。 RtMの本社はシンガポールにあり、東京・上海・デリーにも拠点があるほか、ニューヨーク・ロンドン、インド・タイ・インドネシア等にもネットワークを張り巡らせて、グローバルに金属資源トレーディングを行っています。RtM事業室は国内外合わせて600人ほどの社員を束ねつつ、RtMグループと三菱商事本社をつなぐ役割を担っています。 RtM事業室に来る前、2019〜22年の4年間は上海に駐在し、RtM Chinaという会社の設立と運営を担当しました。その前は、インド・デリーで4年間、RtMのインド進出を担当。さらに30代の頃は、オーストラリアのシドニーに4年、ブリスベンに2年駐在し、原料炭事業に携わった経験もあります。色んなことに挑戦してたくさん失敗して少しだけうまくいったこともある、そんな会社員生活ですね。

三菱商事RtMジャパン電池・モビリティ事業本部の藤井美穂氏

藤井 私は、いま菅野さんがお話ししたRtMの日本拠点である三菱商事RtMジャパンという会社に出向しています。所属は電池材事業部で、脱炭素化に向けて重要性が高まっている電池原料のうち、主にリチウムのトレーディングを担当しています。 三菱商事に入社したのは2006年で、貴金属トレーディングや南米鉱山の資源開発投資、広報部を経て、産休・育休へ。続けて、配偶者転勤同行再雇用制度(※)を使って渡米していたこともあり、計5年間にわたり職場を離れていました。2019年に復職し、いまの業務にあたっています。 ※配偶者転勤同行再雇用制度:社員が配偶者の国内外転勤に同行するために退職する場合、一定条件のもとで再雇用をする制度。

グループCEOオフィスビジネスインキュベーションユニットの鄧抒(でん・しゅう)氏

——鄧さんが所属しているビジネスインキュベーションユニットとは、どんな役割を担っているのでしょうか。

金属資源グループの戦略を束ねるグループCEOオフィスで、鉱山や金属資源に関わる新技術の発掘、有望なスタートアップへの投資実行や協業創出、経営参画などをする仕事です。いまのポジションについて約2年が経ちますが、現在、数社との協業を推進中で、ネットワーキングや投資案件の精査、取締役会等への出席などが日々の業務です。 私はキャリア採用で、2012年10月に三菱商事に入社しました。それ以前は外資投資銀行で、5年ほどM&Aアドバイザリーの仕事をしていました。三菱商事に入ってからは、ブリスベンに7年間駐在して原料炭のアセットマネジメントをしたり、東京で鉄鉱石のアセットマネジメントをしたりしてきました。

——皆さん業務内容は様々ですが、グループ共通のミッションとしては「良質な金属資源の安定供給」ということになるのでしょうか。

菅野 そうですね。社会が必要とする金属資源を持続可能なかたちで安定的に供給し、より良い社会を実現する。これが金属資源グループのミッションです。 以前は「日本のため」に金属資源を持ってくるという発想でしたが、近年は、インドやアフリカをはじめとする新興国の経済成長を支えるため、つまり「日本と世界のため」の事業へと目線が変わってきています。また、持続可能な安定供給というのは、様々な需給ギャップに対応しつつ世界中に確実に「届ける」という面はもちろんのこと、「掘る・作る」際の労働環境や、閉山後のリハビリテーション(自然環境の修復)にも配慮しています。

世界最大級の鉱山を前に、心が震えた

—— 食品や自動車といったB to C(一般消費者向け)の製品に比べて、「金属資源」を扱う仕事は、とくに就活生には少しイメージしづらいかもしれません。やりがいや面白さを感じるところは。

蒔苗 学生時代の私もそうでしたが、金属資源と聞いてもイメージしづらいのは、日常生活の中でその存在を実感することがほとんどないからだと思います。いま後輩に話す時は、「みんなが触っているパソコンやスマホ、車や電線にも、何かしらの金属資源が使われていますよ。金属資源というものは私たちの生活の根幹にあるもので必要不可欠なもの。僕らはそれを安定的に供給する仕事をしています」と、少しでも身近に感じてもらえるような伝え方をしています。 蒲池 私は大学で、コバルトリッチクラストという海洋鉱物資源の研究をしていたので、もともと金属資源には興味があったんです。そんな私でも、入社直後は「食品とかワインを扱う方が面白かったかな」とちらっと思ったこともありました(笑)。 ただ実際に担当してみると、金属資源がいかに生活に必要不可欠なものであるかをあらためて実感しました。例えば、私がいま扱っている「銅」は、電線はもちろん、電車や電気自動車、エアコンや冷蔵庫などの家電、スマホや医療機器、産業用ロボットなど、身の回りのあらゆるところで使われています。これほど汎用(はんよう)性の高い製品の大もとである鉱山開発から携われることには、非常にやりがいを感じています。 それから、2年前、それまで東京からアセットマネジメントという立場で扱っていたペルーのアンタミナ鉱山に出向し、鉱山操業の現場で働く機会を得ました。その時、金属資源というビジネスがどれだけ大きな規模の仕事なのか、どれほどの影響力があるものなのかをひしひしと感じました。あの時の気持ちは忘れられません。

——冒頭のお話では、海外経験が豊富な方が多くて驚きました。海外勤務の多さも、金属資源グループの魅力の一つですね。

藤井 実は入社前、私は金属資源の知識がほとんどなかったのですが、「海外と仕事がしたい」という理由で金属資源グループを希望しました。金属資源の主原料はほぼ海外で産出されているため、海外との接点がない部署はないですからね。 私がキャリア採用でこちらに来た理由もまさにそれで、金属資源の仕事は海外で働ける確率が非常に高いんです。いまもグループの社員約350人のうち、3分の1超が海外にいます。海外志向の人にはぴったりの職場だと思いますし、ここで培ったスキルは、これからの人生においてキャリアの選択肢をグローバルに広げてくれると思いますよ。

資源開発=「街づくり」? 現地で感じる醍醐味とは

——鉱山開発は、地域社会の環境や経済に与える影響が非常に大きい事業ですが、その点はどのように捉えていますか。

猪俣 資源開発ビジネスには、「街づくり」のような側面があるんです。日本にいると想像もつかないような未開発の辺境の地で、ゼロからプロジェクトを組成し、先住民とともに新たなコミュニティーやそこでの就業機会や教育機会をも創出していくわけですから。これまで存在しなかったバリューをその地に作り出せるというのは、まさに資源ビジネスの醍醐味(だいごみ)だと思っています。 蒲池 そうですね。ペルーのアンタミナ鉱山の事業でも、地域住民が困っていることなどをヒアリングし、我々にできることを検討しました。その結果、氾濫(はんらん)が起きやすい川の治水工事をしたり、病院や学校を建設したり、鉱山で人材を雇用したりと様々な取り組みが実現し、住民の生活は目に見えて改善していきました。 地元のおばちゃんたちに「あなたたちのおかげで生活が良くなった」と感謝されたり、涙を流して「息子に雇用のチャンスをありがとう」と喜ばれたりするのは、やはり心に響くものがありました。そして、資源ビジネスが地域社会にもたらすものを現地で見聞きしたことは、この仕事に携わる一員としての思いを新たにするきっかけになりました。 猪俣 それから、数十年にわたって手掛けている案件だと、現地のトラックの運転手さんが「自分の父も祖父もここで働いてたんだ」と誇らしそうに話してくれたりするんです。我々の資源開発によって生まれた仕事が世代を超えて受け継がれ、地域に収益をもたらし続けているわけです。資源開発ってすごいな、すごいことに自分は携わっているんだなと実感しますね。

——社会課題解決に関心のある層にも、向いている仕事かもしれませんね。

菅野 そうですね、地域社会への貢献という側面は大きいと思っています。その地域に暮らす人たちの一定の理解やサポートがなければ、資源開発は決して実現できませんので、そこは時間をかけて信頼関係を構築しながら、適切なバランスを取りながら慎重に進めていくべきところだと思っています。

「あなたが来てくれてよかった」の言葉が力に

聞き手を務めた、GLOBE+編集長の関根和弘(右)とともに

—— 皆さんが仕事をともにするビジネスパートナーは、言語や文化、価値観、キャリアなどが多様ですよね。それゆえの苦労、また乗り越えた先の喜びや達成感があれば教えてください。

猪俣 海外駐在の際は、プロジェクトの事業投資先にマネジメント職のポジションで出向するということがよくあります。例えば、私が南アフリカに出向したのは、入社4年目の年でした。本社にいれば「まだ若手だしね」と大目に見てもらえることもあるでしょうが、出向した途端、「シニアアカウンタント」として部下を持つ立場に。しかも、言語も文化も違う不慣れな環境に放り込まれるわけです。 当然、甘えは許されません。実際のところはわかりませんが、現地の社員に「英語は大丈夫なのか」「ファイナンスの知識はあるんだろうな」などと、試されている感じがするんですよね(笑)。 そこでは、歯を食いしばって必死で学び、懸命に吸収するしかありません。そうやって少しずつ成果を出していく。その積み重ねの結果、現地の社員やパートナーから「あなたが来てくれてよかった」と言ってもらえた時は本当にうれしいし、自分の成長を実感できる時でもあります。 藤井 コロナ禍で出張ができなかった時、とある2カ国間であるトラブルが勃発したことがありました。直接会えないことが拍車をかけたのだと思いますが、あわや決裂寸前という事態に。それでも、RtMの両国拠点と東京のスタッフが連携し、それぞれの文化・気風に即した適切な文脈と言葉でメンバーをまとめ、辛抱強くコミュニケーションを取ることで、なんとか溝を埋めることができました。事が収まってから、パートナーから「ぜひ、あなたと乾杯したい」と携帯の画面越しで乾杯をした時は、なんだかジーンとしました。 菅野 あの時は本当にヒリヒリしました。この件に限らず、サプライヤー、顧客、ジョイントベンチャー、投資家、そして我々商社といった立場の違いや利害関係があります。必要な時はギリギリの線まで交渉し、闘います。そのうえで、「やっぱりこの人と手を取り合ってやっていこう」と思えるような関係性を築くことが理想ですよね。 私はスタートアップ投資という仕事上、各分野の優れた専門家や、社会的・経済的に成功している投資家に接する機会が多いんです。 先日は、海外のとあるスタートアップ企業の取締役会(ボード)に出席しました。取締役はみな私より30は年上のアメリカ人で、優れたファンドマネージャーとして名をはせた人ばかりでした。取締役会を終えて日本に帰国すると、「あなたがボードに来てくれてよかった、あらゆる議論で有意義なインプットをしてくれたことに感謝している」「ぜひ次回のボードも参加してほしい」といったメッセージが送られてきて、素直にとてもうれしく思いました。 日々苦労も多いですが、尊敬できる素晴らしいビジネスパートナーと仕事ができた時、そして、そんな相手に自分の価値を提供できたと思えた時には、大きな喜びを感じますね。

  • 第3回では、金属資源グループ座談会の<後編>をご紹介します。