三菱商事

第1話 三菱創業者の陰に、しっかり者の母あり

あゆみ 「挑戦」の原点

第1話 三菱創業者の陰に、しっかり者の母あり

彌太郎の母・美和の肖像

「あゆみ」では、私たちがこれからも大切にすべき価値観のルーツを探っていきます。第1話は、三菱創業者・岩崎彌太郎に多大な影響を与えた母・美和の残した家訓を紹介します。

彌太郎生家 高知県安芸市内にある彌太郎像

岩崎彌太郎の母・美和は医者の娘でしたが、13歳で父を失い高知に出て藩士屋敷に奉公。15歳の時には母をも失い、16歳で地下浪人・岩崎彌次郎に嫁ぎます。
暮らしは決して楽ではありませんでしたが、ある年の暮れのこと、近所の女が涙ながらに用立てを頼みに来ました。美和はかねがねこの女の性格の弱さを歯がゆく思っており、固く断ります。しかし、女がとぼとぼ帰る姿を見届けると先回りして、女の家の障子の破れ穴からなけなしの小銭をそっと投げ入れたのです。美和は気配りの人であり、のちに彌太郎が実業界で成功してからも岩崎家の精神的支柱であり続けました。

美和は、岩崎家の家訓を残しています。

  • 一、人は天の道にそむかないこと。
  • 二、子に苦労をかけないこと。
  • 三、他人の中傷で心を動かさないこと。
  • 四、一家を大切に守ること。
  • 五、無病の時に油断しないこと。
  • 六、貧しい時のことを忘れないこと。
  • 七、常に忍耐の心を失わないこと。

時に傲岸不遜とまで言われた彌太郎でしたが、
これらの言葉を思い出すたびに身の引き締まる思いだったことでしょう。

彌太郎の母・「へそくりつぼ」発見!?

彌太郎の母が、貧しい生活の中、こつこつと一文銭を貯めていたとされる「へそくりつぼ」が、2月、高知県安芸市の彌太郎の生家近くの会社員方で発見されたそうです(新聞報道より)。つぼには、180枚近い寛永通宝が現存。このつぼは、2011年1月30日まで、安芸市立歴史民俗資料館の特設展示で、彌太郎の弟・彌之助が乗ったかごなどと共に公開されています。

写真提供:三菱史料館、安芸市立歴史民族資料館

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